資料:孤児院概要と建設の意義等について
1.概要
(1) 経緯
80年から88年のイラン・イラク戦争、90年から91年の湾岸危機・湾岸戦争、90年以降の対イラク国連経済制裁および03年の対イラク戦争と、イラクは継続して異常な状況にあった。この中でも、イラク南部はサッダーム政権の抑圧下にあり、より大きな問題を抱えてきた。イラクの出生率は3.2%と高いものであるが、制裁下および戦後の戦争孤児等、弱者に対するケアはひどいものであり続けた。
サマーワにおいては、地元の宗教家や慈善団体が孤児の世話をし続けてきたが、孤児院と呼べるものは存在しない。経済的・社会的弱者である孤児たちは、独裁政権からの解放の恩恵を十分によくすることができず、社会的な混乱と不満の最大の影響を受けている。また一部の地域では、社会から排除された若者たちをリクルートして、反社会テロ活動家に仕立て上げるような団体すら存在するといわれている。
このような現地の状況改善に貢献するために、埼玉県のライオンズクラブ(ライオンズクラブ国際協会330-C地区)は、サマーワの孤児院建設のために奉仕活動を行うこととした。
(2) 募金・資金提供活動および建設
昨年6月より、埼玉県内のライオンズクラブ(全108クラブ)による資金提供や街頭募金、計画に賛同を頂いた橋田メモリアル・モハマドくん基金100人委員会や一般の篤志家の方々より資金提供をいただき、総計23,513,825 円の建設資金を得ることができた。
孤児支援に実績のあるサマーワの奉仕団体NGOであるアル=アマル文化基金との間で、孤児院建設のための合意を締結後、昨年12月に地元建設業者による孤児院建設が開始され、本年7月1日、孤児院が完成した。建設資金約2,100万円(為替レートにより代わる)については、近く支払いが終了する予定であり、残金については、孤児院運営のために必要な資金に充当される予定である。また、今後の運営については、アル=アマル文化基金がその責任を負うことになっている。
(3) 建築物概要
110坪の平屋建てコンクリート建設で、最大240名の孤児を収容可能。
ダイニング・ホール(橋田メモリアル・モハマド君くん基金拠出分)を併設。
サマーワ市内に所在し、土地はアル=アマル基金が準備。
建築物写真および見取り図については当日配布予定。
2.意義
上記の人道的見地に加え、本件は以下のような意義を有すると考える。
(ア) イラクに対する民間による戦後初の建築物支援であり、歴史的な意義を有する。
(イ) 危険且つ不安定な地域ほど、一般論として支援の必要性が高い場合も多いが、現地の環境がそれを許さないことも多い。政府の草の根無償援助による孤児院備品等(発電機、塀、ベッド等)の供与を頂くことになり、官民の有機的な協力体制が実現された。
(ウ) 陸上自衛隊派遣地域となったサマーワにおける民間支援は、間接的に派遣された自衛隊員の安全を守ることに貢献すると共に、民間NGOが加わることにより地元の人々に対し、日本の貢献を印象付ける効果が期待できる。
(エ) 社会の不安定化の最大の被害者である弱者を支援することは、テロを育む素地を防止することに繋がる。
(オ) 陸上自衛隊撤退後の「切れ目のない対イラク支援」の一環として、将来にわたり象徴的な建築物になることが期待される。
3.諸団体との協力について
今回の孤児院建設にあたっては、趣旨に賛同された橋田メモリアル・モハマド君くん基金より520万円の支援をいただいた。また、前述の政府支援に加え、一般の多くの篤志家の方々よりご寄付もいただいている。
4.残された課題
(1) 運営団体であるアル=アマル文化基金の運営資金は主として湾岸アラブ諸国からの寄付に頼っており、特に経済的に大きな問題を抱えるイラクにおいては、安定的な運営は容易ではない。
(2) 国連HABITATは政府系社会福祉事務所に対し、本件孤児院建設中に孤児院供与を決定したと聞いており、両者のすみわけが問題になる可能性がある。しかし、一人事務所に過ぎない政府系社会福祉事務所の孤児院運営能力には疑問もあると同時に、もっとも孤児院を必要とする時期には間に合わない可能性もある。
(3) 孤児院建設を始めとする各国の支援および復興支援は、イラクの安定に貢献すると信じるが、治安の回復の遅れや悪化は、孤児院の運営等に影響する可能性がある。
(4) 将来、イラクが安定するときには、孤児院の存在意義が問われる可能性も否定できない。